<< March 2024 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

一流の人から学ぶべき物は…

こんにちわ、少し肌寒い夜です。


普段なら夜はテレビをつけて、テレビから吐き出される情報のシャワーを浴びまくっているのですが、今日はそういった無駄な情報は一度遮断してみようと思い、無音の中にいます。

無駄な情報がない、そういう時間を実はそれほど過ごしていなかった最近、いざやっているといろいろな事を思いつくものですね。

そこで今ふと思った事があったのでブログに書いてみようと思いました。

人と会うときのお話ですが、一流の人と会う、そして話をする事が自分の成長につながると言われます。

というか、自分よりも経験豊富で思慮深い人と話せばそうですよね(笑)当然の事です。

その方から学び、出てくる情報を全て身にしようと思えば、それは大きな財産になります。

まあ、そうなのですけども、ここでふと思ったのが、一流の人とお会いして、少しでも時間を共有する事があるのならば、

【その人から何かを吸収しようと思うよりも、その人が求めている事を一つでも感じる事の方が大切】

なのではないのかと思いました。

おそらく格下であろう僕等は何かが欲しくて堪らないのは当然なのですけども、お話させていただいてる一流の方々も同じ人間なのであればきっと何か欲しいものがあるのではないかと思います。

【欲しいもの】

それは、別に物質的なものや、お金や地位とかそういうものではなくて、例えば単純に趣味の話を共有出来る事、とか、昨日読んだ本の事を話せる相手、とか、若い人と関わる時間とか、いいペットのドクターの情報とか、

話せば何かしらあるのではないかと思います。

そういう、一流の方が望んでいる事を聞く事が出来る時間、それが一流の人とお会いする時に意識する事なのかな、とか思いました。

その人の欲する物を理解してそれを提供出来れば、また会いたいと思ってもらえるし、信頼してもらえるからですね。
そうなればまたお話する機会も生まれるという物です。

こう考えると、いろんな事に応用出来ますよね。

治療に置き換えて考えると、究極の話、治療って患者さんの体が欲する刺激を与える事なのではないのか、という風にも考えられます。

患者さんが欲するわけではなく、患者さんの体が欲する刺激ですね。

それを感じる為に手で触り、脈をとり、そして話を聞く。

そうして集めた情報で患者さんの体が欲する刺激を与えていけば、きっといい事が起きるのではないのか、と思いました。


いらない刺激を排除して刺激のない時間を過ごすと、いらないエネルギーを消耗しなくなるのかもしれません。

人は体のエネルギーを溜め込むと、逆に体の負担になります。それ故に、無駄なエネルギーを溜め込まないように刺激を体に与える事でエネルギーを発散させる癖があります。

食事や、飲酒、テレビからの刺激や携帯ゲーム、性行為、そして睡眠も実はエネルギーを使う行為でもあります 、、。


エネルギーが溢れてる状態ならばそういった刺激もいいのですが、毎日の習慣になっていた場合、エネルギーがないのに惰性でやってしまう事があります。


そうなると、エネルギー不足になり、必要な事が出来なくなります。

なので、もしそうなっている可能性がある場合は一度、全ての刺激を排除してみるといいかもしれません。

そうする事で、本来やらなければいけない事にエネルギーを使う事が出来るようになるので、自然といろいろな発想や今まで後回しにしていたやらなければいけない事を自然とやりだすと思います。


今回の発想は、いわゆる【利他主義】という、まあ割とよくある話なのですけども、自分でそう発想が出来た事が大切な事だと感じました。

皆様も、もし刺激過多になっていて本来考えなければならない事ややらなければならない事があるようでしたら、一度無音の生活をしてみる事をお勧めします。
一時間でも無音にしてみるといろいろと考える事も出るでしょう

【調布で自律神経ケアから腰痛治療まで、三華堂はりきゅう整骨院】
2018.03.18 Sunday 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) | 

死ぬって怖いの?

JUGEMテーマ:日記・一般

 

こんにちわ、今日はお休みです。

 

突然ですが、最近芸能人の方が急逝されることが目につきますね。大杉漣さんがお亡くなりになったことは記憶に新しいです。

患者さんとお話していても、そういうニュースがあると軽く話題になったりしますので、死ぬという事についてたまにちらっと考えたりすることがあります。

 

考えるといっても別に自殺するとかそういう事ではありません(笑)

 

さて、そんな【死ぬ】って事でございますが、皆様どう感じますか。

 

どう感じるかといわれても、さあ?って感じですよね(笑)

 

今日は僕が感じる死ぬって事に関して軽く書いてみたいと思います。本当軽くね。

 

端的に言うと、死ぬっていうことはそれほど怖いものなのだろうか、というのが僕の死に対する感想です。

 

僕はアニメが好きだということは公言している通りでございますが、アニメを見ていても、映画を見ていても、死ぬということに対して結構怖がったり、恐怖したりする描写が描かれることは多いです。

 

実際、世の中ではそういう風に思う事が多いのだろうと思います。

 

だがしかし、死ぬ という結末に関して言えば、僕的には

『これ以上いろいろ考えなくていい』

『お金稼がなくていい』

『病気になって苦しんだり痛い思いをしなくていい』

『WEBさわらなくていい』

『掃除しなくていい』etc

 

とか、とにかく現代の呪縛からいっきに解き放たれる事である、と感じるわけです。要は、死んだら楽なんじゃない?って思うのです。

 

ただし、そこに至る過程が大変問題で、一瞬で死ねたら怖くもないし痛くもない、しかし、じわじわ死ぬと痛いし苦しいし、と思うわけです。

 

 

死ぬことよりもそっちのが気になります。

 

 

そう考えると、死ぬこと自体はそんなに怖い事ではなく、むしろ楽になる事なのではないか、という結論になるわけですね。死んだあとは何もわからないですからね(笑)

 

そう考えるようになってから、誰かが【死ぬ】 という結果をニュースで見ると、【死んだ】、という結論よりも、【どうやって死んだ】のかという事の方に興味が行くようになりました。

 

例えば大杉漣さん、確か心臓の疾患だったと思いますが、心筋梗塞や脳梗塞で死んだ場合、多分その時は苦しいでしょうがせいぜい一日。その後の事は本人は何もわかりません。こういうと本当に不謹慎で申し訳ないのですが、僕的目線でこの事実に対して感想を述べると、それほど悪くない死に方だな、と感じます。

 

むしろ、生き残ってしまった場合の方が悲惨です。脳梗塞であればマヒが残ったり、心臓であればいつまた来るとも分からない恐怖と戦う。そうして何年も苦しんだ挙句に、やっぱり死ぬ。

 

一般的には生き残った方が幸せに思うのですがたぶん、場合によっては苦しむ期間が長くなることもあります。その間にいろいろと人生を楽しむこともできるのでしょうが、どちらの方が幸せなのかは、よくわかりません。もちろん、生きようとしている人を否定するわけではないのでそこはご容赦頂ければと思います。

 

 

死ぬことを肯定しているわけではなく、【訪れた死を受け入れる】考え方というか、そういう発想になると【死ぬ】という結果に関して見えるものが変わるのではないかと感じる今日この頃です。

 

そうやって【死】に対していろいろ考えると、【死】って本当に怖い物か?という疑問が生まれてきます。

 

あと、【無駄のない死】を迎えるということは、その人の人生において、神に与えられた【人生の課題】をクリアしているから、という考え方もあります。課題と目的を終えたゲームはクリアになりますよね。そして次のステップに進んでいく。

 

そう考えるとますます【死ぬ】という結果に対しての思いはまた変化してきますよね。

 

このあたりの話はまた気が向いたときにしていきましょう。

 

ではまた。

 

【調布市国領で腰痛治療から自律神経ケアは三華堂はりきゅう整骨院】

 

2018.03.11 Sunday 15:28 | comments(0) | trackbacks(0) | 
 | 1 / 1 PAGES |